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【映画】実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち) [映画感想]

思うところもあり、この映画について少し書いてみたいと思います。(基本的に映画は他のところで書いているのでここではネタ以外は書かないのですが・・・・・)

史実(事実?)なのでネタバレもなにもないのですが、話の内容としては「あさま山荘事件」を60年安保闘争からナレーションや報道映像を交えて概要を解説して最後に立てこもることになった直接の原因で、榛名山での連合赤軍による〔総括〕と言う名の粛清(集団リンチ)での12(14)人殺害に至った経緯を撮った映画である。

初っ端から思ったのがそれぞれの集団を率いていく指導者が仲間達に自分達の思想を演説する場面の言葉が私の中ではスルスルと滑っていって何を言いたいのか言っているのかさっぱり分らない。

これは私の頭が悪いからなのかと思えてくるほどだ。

しかしながら、日本語をしゃべっていて理解が出来ないのならわかるが、私には彼らの言葉が日本語にすら聞こえない。ではなんに聞こえるかと考えたが、外国語だろうかそれとも何かの動物の鳴き声だろうかとも思ったが、どっちにしても自分に何かを伝えようとするなら言葉がわからないなりにもなにかが伝わってくるはずだ。

ではなにかに近いか、「お経だな」と思った。

お経は生者への言葉ではなく、死者への言葉だ。

彼らの演説は聴衆に伝える言葉ではなく、自分のための言葉のように思えた。

(それに純粋に共感するものがいるだろうし、その雰囲気で納得するものも出てくるだろう)

 「あさま山荘事件」以降生まれの私としては彼らの思想の根底がさっぱり分らず、映画の最後の方であさま山荘管理人の女性に対して平易にはなす坂口の言葉でなんとなく分った程度である。

 

彼らは活動の拠点を都市部から人里離れた山奥に移す。

そこでは戦闘訓練といわれるものが行われるが、素人の私からみてもそれはお粗末なものだ。

映画をみたある人のコメントでは「コントのようだ」と書かれていたが、本人達がいたって本気なときほどこういうものはコントのようなものに見えるものだ。

この戦闘訓練も私には理解できない。

この時点で一連の闘争は10年以上続いている。

その中で出したひとつの答えが武力闘争というものだろう。

でもそれが、猟銃店を襲って手に入れた武装で本気の武装装備により組織されたものと対等にわたりあえるものだとは平常の神経では出てこないだろう。

そこには戦術や戦略があったのか?

その後の彼らの行動からはそのような点がみられない。

彼らの行動はすでに敗色濃厚な軍を精神論で押し切ろうとする第二次世界大戦末期の日本軍のようにみえる。

その端的な行動が〔総括〕粛清だ。

外部の敵がいない(対等にわたりあえない)とき内部に敵をつくり、その他の者の結束をはかる。

そこまで指導者達が考えていたとは思えない。

しかし結果としては一部成功している。

森から語られる難解なそして語気を上げた演説はその言葉を理解でき無いものに劣等感をあたえ、また理解できないということは共産化が出来てないという事になりそれは〔総括〕の対象に自分がなりえるということである。

指導者達の心理状況は良く分らないが、彼らに希望を見て従ってきた者たちが、彼らの下に組み敷かれていく過程はわかる。

しかしながら国家単位でおこなう軍事化と違って意識してやったものでないので、指導者達に彼らを組み敷いたという意識が薄いようにも思う。

あくまで彼らは同士。

その中で離反者になりそうなものを粛清する第一声を発しているだけなのかもしれない。

 

指導者達に明確なビジョンがあったとは思えない。

〔総括〕も戦闘訓練も行き当たりばったりの思いつき。

そこに確固としてあるのは砂上の楼閣のような思想だとおもう。

それゆえに映画をみているこっちとしてはイライラする。

〔総括〕する者、される者の間に何の差も無い。

たまたま重箱の隅を突くようなことでつるし上げられる。

その度に「それでは自分(指導者自身)はどうなんだ」という憤怒がわき、(能動的に)〔総括〕する者達に私は問いただしたくなる。

〔総括〕と言う名の暴力も最初は殺すためのものではなかった、再生の儀式だったはずがあっさりと仲間は死んでしまった。

ここで殆どの者が恐怖に襲われるが、指導者2人にはあんまり感情がみられない。

恐怖はもちろん、あらゆる感情だ。

ああ死んだのかという事実確認だけしか仲間の死を受け取ってないようにみえる。

その後多少猟奇的な行動もみられるのですが、それよりも淡々としている状況が印象に残ります。

 

そして、指導者だった永田と森の市街での逮捕。

この過程をみていてほっっとうに彼らのしてきたことはなんなのだとなんともいえない気分になった。

(この部分は映画をみて確認してほしい。)

 

残った者たちの最後の敗走。

それは彼らにとっては敗走ではなかったのかもしれないが・・・・・・・。

あさま山荘に立て籠もることになった過程。

そこでもおこなわれる議論。

そこにはいつも〔総括〕された者への思いがあったように思う。

「突入せよ!あさま山荘事件」は警察側からの視点しかないと批判されているが、内部であった坂口たちの葛藤はあの映画の時間内には入りきらないし、申し訳程度に話を入れるくらいならまったくなくてよかったと思うぐらいだ。

それに事件自体をまったく知らないので、この「突入せよ!・・」を見ていたおかげである程度警察側の状況も推測しながら見ることができた。

(予算の関係と言われているが、警察側の場面はまったくと言っていいほどこの映画にはない)

「突入せよ!・・・」を見ていると、今のテロリストに対する対処をある程度見ている人間としてはお粗末すぎる観がヒシヒシと伝わってくるのですが、それ以外にも当時の上層部の「全員生きて捕獲」などの警察側への拘束事項が多かったのもここまで事態を大きくした原因のひとつだと思います。しかし、そのことが立て籠もった側には有利に働いていたのがこの映画でわかる。

たかが猟銃4本で対抗していた素人テロリスト達。

ある意味警官2人の殉職者を出してしまったのは、ありえないことが起ってしまったことのようにすら思える。

 

この事件の後安保闘争にはじまった一連の騒動は鎮静化する。

長年の闘争の結果、疲弊していた者達に「同士殺し」という現実が精神的無力感を増大させた結果だと思う。

事件後このことに関しての総括(再考)がされてないというような文章などもみることがありましたが、多分すべてにおいてこのことに納得できるような答え(文章)など出てくることは無いだろうし、今後事件関係者が亡くなることでこの事件が終わりになることでもなく、この映画のように常にいろんな形で表現されてこの事件後に生まれた私達にこのような機会に知ってもらい、考えてるべき問題なのだと思う。

そして映画の感想に彼らに「共感した」という書いている人もいましたが、私にはまったく誰にも共感できるものはありませんでした。

ただ彼らが何かの熱意に動かされていたのは分りますし、現代にはそれはないなと思います。

 

とても何かが書きたくて書いてきましたが、やっぱりうまく書けず、言いたいことが表現できたのかわかりません。

(映画鑑賞から1ヶ月もかけて書いたのこんな文章と言う体たらく・・・・)

 

まだやっている映画館もあるようなのでよかったら見に行ってみてください。

 

この映画関連で出た書籍ですが、60年代安保闘争から現代までを追っていて、事件関係者また著名人なのど文章もあり映画の裏側までみることができて、この値段は安いと思いますしかなり良く出来ていると思います。

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2008/02/20
  • メディア: 単行本

 

 

映画で印象に残った場面のひとつ

地下に潜るメンバーに選ばれた遠山にいつまでたっても自分を上層部は認めてくれないと金が愚痴る場面がある。

そこには革命家としての希望に満ち、そしてちょっとした優越感の上に「がんばれば認めてもらえるよ。」と言う遠山いて、それをただうなだれて聞くしかない金。

遠山のそこにあった希望は現実のものとなることはなく、権力に対する闘争の結果の死というある意味想像のなかにあった死ではなく、まったく考えもつかなかった最後を迎えることとなる。

だからこそあの場面での彼女のうれしそうな顔が印象に残った。


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